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2017年10月21日

レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 日本初公開「タヴィラ・ドーリア」の謎 広島県立美術館

2017年9月5日(火)〜2017年10月22日(日)開催
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「アンギアーリの戦い」
14世紀の後期、ミラノ公国はジャン公爵の元、

領土拡大に成功した。

ジャン公爵の手法は傭兵を金で雇う。

兵農分離。

フィレンツェ制服を果たしたのちにはイタリアの王

に即位すべく野心もあったと言われる。

即位の為に道具も用意していたと言われる。

没後には領土は縮小。

息子のフィリッポ公爵は領土の拡大を図るべく戦が

繰り広げられる。

勝利するには傭兵の活用がポイント。

1430年〜1440年のフィレンツェとミラノの

戦闘アンギアーリの戦い。

アンギアーリにある橋を巡って争われ、

結果はフィレンツェ軍が勝利。

フィレンツェ政庁舎を飾る絵として1504年に

レオナルド・ダ・ヴィンチに

フィレンツェから絵を描く依頼がある。

同じくライバルのミケランジェロにも依頼が。

並べて鑑賞される事になる。はずだった。

大壁画、「アンギーリの戦い」。この壁画はその後の

芸術家に大きな影響を与えたという。

壁画の中心部を16世紀に模写したという

「タヴィラ・ドーリア」は日本での初公開となるという事。

模写や派生作品など、またレオナルドについての

資料などが展示されるという事。

「アンギーリの戦い」はレオナルドダヴィンチが

1504年にフィレンツェ共和国からの依頼を受けて

イタリアのフィレンツェ

の政庁舎であるヴェオッキ宮殿の大会議室、五百人広間に

絵を描き始めたという。

その向かいには当時、人気が高まってきていた

ミケランジェロが「カスチーナの戦い」を描くという。

ミケランジェロの作品は裸体の戦士が入浴している

ときに不意打ちを喰らうシーン。

しかしこのミケランジェロの作品は下書きだけで

未完成のまま終わる。

一方、ダヴィンチの「アンギーリの戦い」では、軍旗を

はげしく奪い合う軍馬と騎士のもつれあう様子を

描いているが、

これは彼の最大の大作とも称されている。

しかし、この作品については新手法での取り組みが

うまくいかずに、

途中であきらめることになったという。

結局、このダヴィンチとミケランジェロの作品は

未完成となったのだ。

その壁画は1512年まで同じ部屋に残されていたらしい。

その後、ミケランジェロの「カーチスの戦い」は

切り刻まれる運命に。

ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」は模写されたりと

いったことで

しばらくあったようなのだが、1572年までの大広間の

改修で壁ごと失われて

しまったという。どうなってしまったのだろう。

現在も現存しているのではないかと言われたりしている。

ルーブル美術館にはピーテル・パウル・ルーベンスの模写が。

これはロレンツオ・ツァッキアの版画を元に

つくられたようだ。

見つかった「タヴィラ・ドーリア」は模写ではなく、

レオナルドダヴィンチ本人の作品かもしれないとか・・・

謎は多いです。

今回の展示

一章 歴史的背景 アンギーリの戦いとフィレンツェ共和国
 セクション1 フィレンツェ共和国
 セクション2 1440年 アンギーリの戦い

2章 失われた傑作 荷台巨匠の幻の競演
 セクション1 壁画 アンギーリの戦い
 セクション2 ミケランジェロの カッシナの戦い
 コラム1:アンギーリの戦いをめぐる文書資料
 インテルメッツオ 優美なるレオナルド

3章 視覚革命 アンギーリの戦い によるバロック時代への遺産
 セクション1 アンギーリの戦いとルーベンス
 セクション2 太陽王ルイ14世時代のフランス
 セクション3 イタリア・バロックの戦闘図

終章 レオナルドを求めて ここからはじまる、失われた傑作探求の第一歩
 タヴィラ・ドーリアの立体復元研究

展示を見学して
平面の絵から、立体模型をうまく作ったものだな・・・と感じた。
レオナルドダヴィンチの多才な活動、残した言葉は、悟りに近い
ものを得ていた事を感じ取った。
またライバルとして意識していたミケランジェロ。お互いが
どのような思いであったのだろう。

当時の戦争の様子を絵によって感じる事が出来た。
服装や武器、人びとの表情。
歴史を伝えるものとして絵が真実として語り継がれる
作者の思いは創作された絵に表現され、後の人びとに影響を与える。
それは真実であるか。語り継がれるものも。







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posted by おむすびライオン at 12:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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